2019年6月4日火曜日

第15回『オリンピックと社交ダンス』

いよいよ来年開催される東京オリンピックのチケットのインターネット申し込みがつい先日終わった。自分も申し込んだがさて抽選結果はどうなるだろうか。あまり期待せずに待とう。


社交ダンスをオリンピックの正式種目に、と言われて久しくなるが未だ実現までは至ってない。社交ダンス界がオリンピック正式種目を目指すようになってから50年近いらしい。私がプロになってからだけでも度々正式種目になるかもと盛り上がったが結果選ばれず、その都度がっかりした。


それどころかこのオリンピックを巻き込んでダンス界は大変な事になってしまった。ブラックプールやUK戦など伝統ある競技会を行ってきたおおもとの伝統ある団体WDCと、オリンピックをアマチュアだけでやりたいとするアマチュアを主体とする団体WDSF、世界が2つの団体に分裂してしまったのだ。



さらにその数年後、元々アマチュアだけでやりたいとしていたWDSFがプロ部門を作ったものだから事態はもっと複雑になってしまった。



かくして相入れない2つの団体が誕生し、選手はどちらかの団体を選ばないといけなくなり、日本も世界の流れに巻き込まれるようにWDSF傘下のJDSFWDC傘下のJBDFJDCJCFなどに分かれているというのが現在の状況だ。

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このWDCWDSF2つの団体、現状WDCはオリンピックよりブラックプールやUK戦など伝統ある競技会を重んじる団体、WDSFはオリンピック志向でIOCの意向に沿った競技改革を進める団体といえる。

 
WDCも元々はオリンピックを目指していたのだが、オリンピック種目に選ばれるにはスポーツ性と客観性を強く打ち出さなくてはならず、競技会の審査方式や審査基準、場合によっては競技会スタイルも変えるなどIOCの意向に添う必要がある。

さらにそこには近年興行化したオリンピックの利権等も絡んだ組織改革も必要となるだろう。結果WDCはオリンピックよりもブラックプールやUK戦といった伝統のある競技会の方を守っていくスタンスをとっているのだ。
  対してオリンピック志向のWDSFでは、1回転より2回転、2回転より3回転、スピードと運動量、よりスポーツ性が強調されたダンスになってきている。つまり若さと身体能力が必要なのだ。そうなるとフィギュアスケートなど他のいくつかのオリンピック種目と同様に社交ダンスもチャンピオンは10代、20代はもうベテランなんて言われるような時代がくるかもしれない。

それはもう「踊るダンス」でなくて「見るダンス」の方だ。

フィギュアスケートはTVでも放送される人気のあるスポーツだが、自分は「見たい」とは思うが「やりたい」とは思わない。(自分が10代だったらやりたいと思うかもしれないが、、)スター選手が生まれ、TV放送されればスポンサーもつくし、子供にやらせたいと思う親は増えるだろうから興行としては成功だ。


ただ社交ダンスの真の良さはそうではない。「見る事」はもちろん楽しいが、やはり見てるだけではつまらない。自分が踊ってこそ楽しいのが社交ダンスなのだ。


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そんな経緯を見てると、自分も最初は社交ダンスのオリンピックを強く望んでいたが最近はちょっと変わってきた。


オリンピック種目になれば嬉しいという気持ちに変わりはないが、スポーツ性は社交ダンスの持つ良さの要素のひとつに過ぎない。



オリンピック種目になれば認知度があがり、さらにはオリンピックを目指す子供が増え、いや、オリンピックを目指して社交ダンスを習わせる親が増え、そういう意味で業界は盛り上がるだろうから、それ自体は嬉しい限りだ。そしてスポーツとしての社交ダンスを観戦し拍手する。それも社交ダンスの楽しみ方のひとつ。


ただ、社交ダンスは若い人だけのものではない。若者から年配者まて幅広い年齢層まで楽しめるのが社交ダンスの真の良さなのだ。


もともと社交ダンスは年配者でも踊れるように出来ているダンスらしい。例えばルンバでカウント1から踊らず、2のカウントから踊り出すのも年配者でも音を取りやすいようにしている為だと聞いた事がある。


あるWDCの海外コーチャーが言った。「たくさん回転すれば良いってものではないのよ。どんな感情で回るかの方が遥かに大切なの。」


フィーリング溢れる""のあるダンス。踊る人それぞれがそれぞれの感情を込めて踊り、踊る人みんなが主役になれる、それが社交ダンスの良さであり楽しさ。だからこそ社交ダンスは素敵なのだ。


人生100年時代と言われるようになった。日本はこれからどんどん高齢化社会になっていく。


だからこそ年配まで長く楽しめる社交ダンスには価値があると思う。そんな価値ある社交ダンスの踊る事の楽しさや素晴らしさを私たちプロは伝えて行かなければならない。少なくとも自分はそうありたい。


深夜にオリンピックチケットの申し込みをしながらふとそんな事を考えた。




『第15 ダンスのキセキ「オリンピックと社交ダンス」』


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